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kuma URL 2010-08-26 (木) 01:42

野牛さん。本当はお年を偽っていらっしゃいませんか?(^_-)-☆
野牛さんのお年でここまで明確に戦後を語れる人が今の日本人の中に何人いるんだろうか…と、舌を巻いたり、頭を下げたりして読ませていただきました。
実は8月15日付近かなってお持ちしていたのですが…。
私、恥ずかしながらこの年になってやっと素直に日本を日本人であることを大事にしようと思えるようになりました。美しい言語、清々しい作法、陰日なたなく実直である庶民性…なにかそういった特質が徐々に変質し、嘘っぽい社会になっていっているように思えてならないのです。
私などにできることは微々たるものですが、こうやってオレはここまで来たぜ!とガキンチョ達に伝えなければいけないと思っています。心が落ち着くすばらしい文章を読ませていただきました。長くなってすみません。ありがとうございました。

野牛 URL 2010-08-26 (木) 02:59

下書きではもっと天皇について書いたんですが、削ってしまいました。この削らなきゃならないという気分が持つ危うさを書いたのですが、危うさを取り払った先にまた新たな危うさが現出するといった具体で、今回は見送りました。
先進諸国には民族というのは付いて回りません。アメリカ民族、フランス民族というのはないわけです。中国は太古から多数民族で成り立ってます。人々を結びつける膠として、他に宗教がありますが、日本は国家神道で大失態を演じてますからアレルギーがあります。少し前までは経済でくっついてましたが、今は文化ぐらいでしかくっつかない。やがて人口政策が施されるときに、今よりもっと日本人であることが問われます。『実直である庶民性』、特にこれを再獲得できないものでしょうか。作法も言葉も含めて教育に帰する問題なのですね。kuma塾の生徒さんたちは仕合わせです。

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蓮と水の清濁

  • 2010-08-25
  • 慷慨
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ここにたどり着くまで、関連したエントリーが幾つかあるのだが、特に伏線を敷いたわけではない。だが繋がっている。少し時期がズレてしまったが、繋がりを保つために掲載することにした。

日本はかつてのような神国ではない。各国王室のようにメディアに追い回され好奇の眼差しに晒されることもなく、財産権も基本的人権もない宮家の生活費が、事業仕分けの俎上に載せられることもない。
昭和天皇が、A級戦犯合祀を境に靖国参拝を取りやめられた。今上天皇の時代となってからも依然として靖国参拝は復活していない。あれだけ犠牲を出しながら、その鎮魂を直截果たせずにおられるのは、象徴天皇としての政治的配慮と苦悩があるとしても、神聖なる冷然は止まない。皇室は池水の清濁を問わぬ蓮の花のようでもある。

民主党政権になって、靖国参拝を見送る例が多い。今年は閣僚全員が見送りとなった。見送りという表現もまた妙である。統帥権と戦争責任の関係を明確にしなかった(できなかった)時から、戦争責任は全面的に為政者にあったはずで、だからこそA級戦犯は冤死となった。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに」という憲法前文が、明確に先の戦争の主因を語ってないないにせよ、戦争責任が為政者にあるとするのが妥当ならば、折にふれ、朝鮮や中国の犠牲者に祈りを捧げ、不戦の覚悟を改めて宣言するのは真っ当なことだ。だが、それ以上の「礼」をとって、万度再々詫びを入れるのであれば、戦争責任を継ぐ為政者として、為政者に絆(ほだ)されて散華した靖国に眠る英霊にも等しく詫びを入れなくては、故意の虐政が続いていると言わねばならない。英霊たちの勇ましくも悲調の遺書は、すべて為政者が書かせたも同然である。

同時に、被害国に謝罪をする場合、原爆投下や無差別爆撃を行ったアメリカから謝罪を引き出さねば、著しく誠実さに欠くことを意味する。戦争は局地戦の集合ではなく全体が戦争である。その終結が宣言され、戦後補償が決着したのであれば、それ以上問われるべきことはない。国と国との交わりで達成できることはこの程度でのことでしかなく、人間性とか民族性を持ち出して解決する筋合いのことではない。惨事と国内外の政治の狂態を次世代に伝え、被害者に祈りを捧げ続ける、これしか成すべきことはない。靖国参拝のまごころを為政者として説明し、参拝を続けるほか、政治的徳望などどこからも獲得できない。

更には、現代に於いて平和国家を標榜するなら、戦争公共事業国家アメリカの軍隊を国内に駐留させ続けることは大いなる矛盾となる。いずれ、プレゼンスが引き起こさずにはいられない細々とした衝突が今後列島南端で頻発するだろう。民主党政権は人心を購うようなことばかりやっているが、民主主義の丼鉢の中には思想ではなく、金しか詰まっていないようにも見える。大きな声では言いたくないが、本来その破損することもありえる民主主義という丼鉢の中は人権思想で満たされているべきものである。人権思想で満たされているのなら尚更、海濤の遙かだけでなく、ここにもそこにも謝罪すべき場所が残っている。

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kuma URL 2010-08-26 (木) 01:42

野牛さん。本当はお年を偽っていらっしゃいませんか?(^_-)-☆
野牛さんのお年でここまで明確に戦後を語れる人が今の日本人の中に何人いるんだろうか…と、舌を巻いたり、頭を下げたりして読ませていただきました。
実は8月15日付近かなってお持ちしていたのですが…。
私、恥ずかしながらこの年になってやっと素直に日本を日本人であることを大事にしようと思えるようになりました。美しい言語、清々しい作法、陰日なたなく実直である庶民性…なにかそういった特質が徐々に変質し、嘘っぽい社会になっていっているように思えてならないのです。
私などにできることは微々たるものですが、こうやってオレはここまで来たぜ!とガキンチョ達に伝えなければいけないと思っています。心が落ち着くすばらしい文章を読ませていただきました。長くなってすみません。ありがとうございました。

野牛 URL 2010-08-26 (木) 02:59

下書きではもっと天皇について書いたんですが、削ってしまいました。この削らなきゃならないという気分が持つ危うさを書いたのですが、危うさを取り払った先にまた新たな危うさが現出するといった具体で、今回は見送りました。
先進諸国には民族というのは付いて回りません。アメリカ民族、フランス民族というのはないわけです。中国は太古から多数民族で成り立ってます。人々を結びつける膠として、他に宗教がありますが、日本は国家神道で大失態を演じてますからアレルギーがあります。少し前までは経済でくっついてましたが、今は文化ぐらいでしかくっつかない。やがて人口政策が施されるときに、今よりもっと日本人であることが問われます。『実直である庶民性』、特にこれを再獲得できないものでしょうか。作法も言葉も含めて教育に帰する問題なのですね。kuma塾の生徒さんたちは仕合わせです。

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商才無きウェブ制作&ITコンサル。ピアノ弾きと絵描きと書家を無条件で尊敬する。晴耕雨読、船旅で四方の朝焼けを見るのが夢。

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