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Home > 人情 > どう説く

どう説く

  • 2009-10-09
  • 人情
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dotoku.jpg道徳の授業についてはあまり記憶が無い。中学では担任か教頭の受け持ちで、滅多に触れ合うことのない教頭の授業だけが記憶に残っている。ソ連の五カ年計画に熱弁を振るっていたこと、公害がどんなものであるか、ただでさえよく通る声を更に甲高くして話していた。生産の主流がオートメーションになり、ロボットが導入され、労働者が激減し、「きみたちの時代はサービス業の時代になる」、そんなことも言っていた。道徳の授業は担当者の雑談の時間のようであったが、睡魔と闘いながらそれなりに耳を傾けていたような気がする。社会規範を学ぶとか、善悪を知るとか、そういう時間に充てられていたかどうか、さっぱり記憶にない。

道徳は過去からやって来る。その意味では確かに保守のものなのだが、この国の保守は未だ瘡蓋に覆われ化膿している。そう見る向きもある。道徳としての保守は、風習や伝統を含むが、過去からやって来る以上、その化膿した部分も考えざるを得ないという態度である。こうした日教組の考えでは、従来道徳が制御してきた部分を何で代替えするかというと、性善説のようなものらしい。なにぶん、道徳教育は「内心の自由を侵す」のだそうだ(参照)。

自由は、実は道徳という囲いの中にある。自由が、道徳という囲いの中にあるうちはいい。エントロピーが増大し、自由がただの放埒となって肥大化するに従って、道徳の囲いは毀損され、自由はコントロールを失う。失った道徳を恋しがり、自由の抑制を考える時に、大衆は平等や人権を叫ぶように転じる。

民主主義と人権はキリスト教社会に於いて同時に叫ばれたが、突き詰めれば社会主義に辿り着かざるを得ないことは誰にでも分かる。この二つは両輪となるものでは無く、民主主義という器の中にあってこその人権である。相互に補完しながら叶えられる表裏一体のものと解釈したい。

以上のことから、道徳と自由、民主主義と人権、こういう比較は成り立っても、民主主義社会を標榜する以上、権利を奪う目的ではない道徳と人権は並列に論じられない。

もっと言えば、教育者が内心の自由を按ずることのバカバカしさはどうだろう。それは職業の放棄と同じことである。子どもらの性善など妄想に過ぎない。アレは教育というものがなければ容易に野獣となる。人権を尊重し、内心の自由にまで配慮して、その結果道徳を駆逐した社会は、国旗も国歌も蔑ろにされた、見かけ上全体主義が排除された人権尊重の社会である、としたいのだろう。道徳を甘くみてはいけない。道徳は過去からやってくる。長い歴史から醸成される。道徳は論理的ではない。

「ガッコの先生が何言ったか知らんがウチではそんな間抜けが通りゃぁせん。旗日にゃ玄関に国旗を立てるんじゃ。当り前じゃろうが!」

雷親父がセガレの頭を小突いて一喝すれば、別の道徳が罷り通るのである。

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商才無きウェブ制作&ITコンサル。ピアノ弾きと絵描きと書家を無条件で尊敬する。晴耕雨読、船旅で四方の朝焼けを見るのが夢。

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